ババのきもち。

桃月庵白酒WEBラジオ「白酒のキモチ。」からのスピンオフ連載。
ざぶとん亭風流企画の馬場さんの“独り言”、毎月更新します。ぜひお楽しみください。
感想お待ちしています~。

2025/04/01

『白酒さんとのズレズレ日記』 其の弐 2025年4月1日

 春真っただ中。皆さま、お元気ですか。
 春といえば満開の桜。といっても、桜の花の満開の下、かの坂口安吾先生の名作世界とは全く逆方向の、ご陽気なオハナシが展開していくのが落語の世界。
 でもね、「実際に満開の時期が来ると、あんまり花見の噺はしないんですよ」と白酒師匠から以前お伺いして、もったいないなあと思ったんです。このエッセイを書くにあたり、ウェブラジオ『白酒のキモチ。』のアーカイブスを聞き返したり、師匠の著者を読み返したりしていたら、ちょうど見つけましたよ、コレ名著↓『桃月庵白酒と落語十三夜』(角川書店)聞き手の杉江松恋氏の問いに「花見の噺は、満開になったらやめる、と教わったかな」と確かに師匠が答えてる。
 桜満開になったら花見の演目を潔くお仕舞いにするなんて実に粋ですなあ、いや、ちょいと待て、せっかく満開になったのにもったいなくないか。これって、いささかせっかちなんじゃないか? いやいや、潔いこそ粋なりが正解なのか? 粋かせっかちか、この問いは考察する価値ありと見た。そんなこんなで、浅学非才のこのババがちょいと自問自答してみますもんのすけ。


2013年4月13日 「桃月庵白酒×おおはた雄一 桃はたピクニック」

 どうして桜満開で春をクロージングしちゃうのか、そう言えば、たしか俳句の季語でも桜は晩春、遅い春でした。逆に、春の始まりの花は何といっても梅。ところが、残念なことに、梅の落語演目ってのは少ないですよね。亀戸の臥龍梅を見に行く牡丹燈籠の『お露新三郎』、志ん生師匠がおやりになった『阿三の森』のおどろおどろしい怪談とか『鶯宿梅』など地味な噺が多いのは、梅の開花がまだ肌寒い時期だからかな?
 『やかんなめ』の梅見ヴァージョン『梅見のやかん』や清元の『梅の春』由来の噺もあるらしいけれど、ついぞ聴いたことは無い。
 春の始まりは梅、春の終わりは桜ってことなんでしょうか。まあしかし、江戸時代から花見といえば桜。演目数も圧倒的に多いですよね。『百年目』『あたま山』『長屋の花見』『花見小僧』『花見の仇討ち』『鼻ねじ』などなど。今や寄席では、梅は咲いたか桜はまだかいな~♪の立春、二月上席になると、桜満開の演目がどんどん高座にかかり始めます。実際の桜満開よりも二か月も前ってことですからね。つまり、桜に関したら、旧暦感覚よりもさらに早く落語家さんは季節を先取りしているってことになる。んー、これは、せっかちなのか粋なのか。

 いま自問自答しながら、頭に浮かぶのは、自分が寄席の客席に居る情景。今年はこの師匠のこの桜の噺で春が来たぜなどと、まだ肌寒いうちから花見気分を味わっている僕がいる。きっと皆さんの中にも同じような体験をした方がたくさんいらっしゃるのでは。そんな風流を味わえるのが落語の大きな魅力ですし、桜満開になった今日この頃、白酒師匠はこの春に、『花見の仇討ち』を何回演ったのかなぁ?などと考えるのも乙なもの。
 おそらく落語家さんの季節先取りの旧暦感覚というか二十四節季的な生活感覚は、落語や寄席の成り立ちからしても江戸文化的なものだと思います。ちゃっと初めて、ささっと終わるんだ、桜が散り始めているのにいつまで花見の噺を演ってんだよというのは、いかにも江戸っ子感覚ですよね。

 三田村鳶魚先生の『江戸の春秋 鳶魚江戸文庫十五』(中公文庫)を読むと、江戸の花見の賑わいが実体験のようにわかります。そこには庶民のどんちゃんだけでなく、武士も、いわんや将軍吉宗までもが、家来や坊主を引き連れて飛鳥山で豪勢に酒宴を開き、無礼講で誰彼問わず酒肴を振舞っていたとも記されています。江戸から現代まで続くこのお祭り騒ぎ、実際の花見をすでに十分楽しんだ人々に、高座からオハナシとしての花見を聴かせても遅かりし由良之助!というのは、聴く側の素人了見としても合点がいきます。CDもTVもWEBもない江戸時代の落語はまさにライブのみ。実際の生活の先、季節の先取りや出来事の予感を高座で描いてくれる方がウキウキする。そろそろ五月かあ、ぼちぼち夏の噺が聴けるなあなどと考えながら寄席に行くのが、昔から落語ファンの常だったのかもしれません。かく言うワタシがそうですし、きっと皆さまも。

 そんな訳で、この自問自答の結論は、せっかちでもあり粋でもある、ということでよろしいですか。この方が面白いし、落語に先導される季節感が僕は好き!ってことで、平たく〆て、と。えっ、〆てないって?
 いいんですいいんです。むずかしいことは学者さんにお任せして、自分がどう感じるかが一番大事。自分の人生にとって本当に大切な選択以外、くだらない二者択一を圧しつけられて結論を迫られた時は、どんどん煙に巻きましょう。白酒さんの好きなディランも歌ってます、いつも答えは風の中。(映画『名もなき者』観ましたか? ティモシー・シャラメのディランもエドワード・ノートンのピート・シーガーも素晴らしかったですね)

 何気なく季節を先取りしたり、何とはなしに野暮なお偉いさんを皮肉ったり、世相を柔らかく斬ったり、さりげなさが共感を呼ぶ噺家さんの話芸。肩肘張らない白酒師匠はじめ落語家さんの高座は至芸です。けど、そんなまじめな話は照れちゃうから、白酒さんは決してしないし、僕も訊かない。こうして、僕の誤読とズレズレ日記は続いていきます。
 そうそう、全然別の話しですが、気になるのはここから先の未来、地球温暖化がこのまま進むと一体いつまで季節の風流を楽しむことができるのか。僕の夢は、百歳を超えるまで落語で笑うことだからさ。世界の為政者諸氏、しっかりしとくれ、でございます。

 さて、梅のことも桜のことも書いたところでもうひとつ、大事な春のお花を忘れちゃいませんか。
 忘れるわきゃない、いざ、桃の花をば。なんたって桃月庵贔屓なり。
 前出の江戸学の大家、三田村鳶魚先生の著書には、江戸は上方よりも行楽地が少ないと八代将軍吉宗が飛鳥山だけでなく、中野に桃園を増設したと記されている。中国では花見と言えば桃花、李桃ですもんね。吉宗も紅白の桃を植えたとのことなので、桃と李(すもも)両方を植えたのではと推測します。中野の桃園は江戸後期に民間にも開放されて人気があったそうですよ。花見が桜一辺倒じゃないのもいいですね。そういう意味では、白酒師匠のお演りになる『安兵衛狐』の中の、長屋の衆の萩見物にしても、偏屈な源兵衛さんの墓見なんてのも味がある。

 さて、この中野の桃園、どこにあったんだろうと調べてみると、なるほど今でも名残りがありました。中野駅から徒歩七分にその名を遺す『中野区立囲桃園公園』辺りが江戸の桃園だったとのこと。囲というのは五代綱吉の生類憐みの令で大きな犬小屋があったことに由来する地名、桃園はもちろん吉宗が桃を植えたことに由来する地名。もともと三代家光公が鷹狩の際によく寄った高円寺の桃を、吉宗がかつての綱吉時代の犬小屋跡地に移植したとのことです。へえ、知らなかった。江戸時代が身近に感じるなあ。今度、この公園に散歩に行ってみようかな。桃園跡地と良い落語会と安い居酒屋がたくさんある町、それが中野。おっと、またもや横道。



 いま、桃と言えば僕ババの故郷山梨(岡山県民の皆さんゴメンね)。新宿から高速バスで一時間半くらいの笛吹市一宮は四月上旬から中旬、まさに桃満開の桃源郷になりますよ。以前僕は、ここの桃畑のど真ん中で、白酒師匠とおおはた雄一クンとで落語会をやったことがあるんですよ。満開の桃の花の中で桃月庵白酒師匠の高座、夢見心地でした。なんと夢枕獏さん一家が駆けつけてくれたり、都内からもたくさんの人が参加してくれて最高のライブでしたよ。これをお読みの中でおいでくださった方もいらっしゃると思います。あの時僕は、甲州ワインの一升瓶を振舞いながら、風流、風流、と呟き、嬉々としてましたとさ、2013年4月13日晴天の日の出来事でした。

 はい、連載第二回目、花見のオハナシとあいなりましたところで、ひとつご案内です。
 古典落語の名人桃月庵白酒師匠の貴重な新作落語が聴けるシリーズ、次回は来る五月二二日に渋谷でやります。
 題して『皐月のキモチ。』、ゲストはなんと今話題の活弁士坂本頼光さん。どんな会になるのやら、今からとても楽しみです。ぜひ、お出かけを!
 公演詳細は、ざぶとん亭風流企画のホームページをご覧あれ。お待ちしてます。