ババのきもち。
桃月庵白酒WEBラジオ「白酒のキモチ。」からのスピンオフ連載。
ざぶとん亭風流企画の馬場さんの“独り言”、毎月更新します。ぜひお楽しみください。
感想お待ちしています~。
2026/03/11
『白酒さんとのズレズレ日記』 其の十五 2026年3月11日
きょうは さんがつじゅういちにち。じゅうごねんまえの このひ たくさんのひとが ぎせいになった。
平成23年東北地方太平洋沖地震。原発事故を含む東日本大震災。
悪夢のような現実。未だその現実の中で苦しむ人々がいる。
午後2時46分。黙祷しながらいろいろなことを思い出した。
15年という歳月の中で、いったい僕は何ができたのだろう。少しの寄付、少しの援助物資、少しの支援活動。
僕の田舎、山梨に避難してきた方々を支援する『絆の会』さんと共に、立川志の輔師匠や春風亭昇太師匠にご協力いただき、甲府での独演会に被災者の皆さんをご招待させていただいた。こちらは慰労したつもりだったが、あの接待は支援になったのだろうか。「楽しかったよ、ありがとうね」とお言葉をいただき、かえってこちらが励まされたり、だったな。
けれど、頼りない僕なんかと違い、復興に力強く貢献した落語ファンや落語家さんはたくさんいらっしゃる。
落語仲間にリョウスケという男がいて、彼は当時から今も尚、熱心な復興支援ボランティアだ。彼に比べたら、俺なんか何もしていないに等しい。
あえて名前は書かないが、相当の額を寄付している落語家さんもいらっしゃるし、落語会の収益を寄付に回す主催者さんも全国に何人もいらっしゃる。
僕の相棒、らくご@座の主宰者でもあるMは、友人の有名芸人Eと、外資系スーパーで大量に支援物資を買い込み、大型ワゴンに積み込み、震災直後で遮断されている道路を避けて山道を走り、福島の介護施設などに直接届けた。被災者さんの為にナニカ役に立つことをしたいというキモチだけで、こんなにも凄い行動ができるのだ。
15年前のあの日、あの瞬間、僕は桃月庵白酒師匠と春風亭一之輔師匠と一緒にいた。
高田馬場にある出版社・白夜書房の地下室。雑誌『落語ファン倶楽部』の取材中だった。インタビューは順調に進み、歓談の中、お二人から様々なナイスワードが飛び出し、さすが名うての売れっ子、落語への熱い想いもたいしたものだと感心していた。すると突然、二人の視線が僕の後方に移る。僕は鈍感なのでさほど感じていなかったのだが、僕の背後の照明器具が揺れていると言うではないか。振り向くと、なるほど大きく揺れている。
地下にいたからさほど強くは感じなかったが、避難の為に地上に出たら、電信柱にしがみつきながら怖くて立ち上がれない女性、恐怖で泣き出す子供、叫び声をあげる母親。どうやら地上は相当揺れたようだ。
これはヤバいぞ! 首都圏直下型という言葉が頭をよぎる。
しかし、しばらくしたら揺れが収まり、僕らはもう一度、地下室に戻り、今日のノルマを済ませちゃおうぜ、など言いながら、インタビューの続きを済ませ、続いて写真撮影が始まった。フォトセッションも順調に進み、立ち姿の何ポーズ目だったか、向き合いのポーズから背中をつけてのポーズへと移り、お二人の背中がピタッとくっついたその時、またしても大きな揺れが。「二人の背中に地震のスイッチがあるんじゃねえの」って気楽な冗談を言った覚えがある。
その後すぐに取材仕事をお開きにして、揺れが沈む中、屋外で解散シーンを撮影して、それぞれが次の目的地に向かうのだが、電車が止まってしまい、タクシーも拾えない。自転車の白酒さんを見送り、一之輔さんはすぐに駆け出し、ぎりぎり都バスに間に合い、超満員の車内に乗り込みセーフ。
東京は、そんな程度だった。まだ、東北で何が起こっていたかわからぬままの僕たちだった。
ちなみに、お二人の対談が掲載されている『落語ファン倶楽部 VOL.13』は、“今こそ滑稽噺で笑って元気で”という特集。震災後、笑うのは憚られるというような空気を吹き飛ばし、落語の価値を見直そうじゃねえか皆の衆、という願いにも似た熱い想いで編集した意義深い内容となっているので、ぜひ読んでいただきたい。
白酒師匠と一之輔師匠の対談は『若手実力派が語る滑稽噺攻略の極意』。
白酒さんが古今亭志ん生師匠や先代三笑亭可楽師匠のフラを解説したり、一之輔さんが柳家喜多八師匠や初代桂春團治師匠のくすぐりを語ったり、それはそれは濃い内容です。揺れてる間によく訊き出したアタシも偉い。笑


もうひとつ。この日はとても重大な日だった。
翌日の3月12日が、新しく始めるソニーミュージック来福レーベルの一大イベント『渋谷に福来たる』の初日だったのだ。つまり、この日は大量の準備仕事がある日でした。
僕は企画とプロデュースを受け持っていた。
創作話芸アソシエーション・SWAや本格古典落語の会の三公演を、渋谷区文化総合センター大和田の二つのホールで開催する段取りで、そのひとつひとつを、新作、古典それぞれ特色あるものとして、公演名も面白く特徴づけて打ち出していた。ソニーミュージックスタッフ皆さんのおかげで、お客様の反応も上々。チケットの売れ行きも好調ですべてが大入りとなっていた。

その打ち合せがあるので、白夜書房を後にした僕は、交通機関に見切りをつけて、歩いて西早稲田の友人、カメラマンSのオフィスに転がり込み、数台あるパソコンの一台を占領して、急いで来福Y君に連絡した。その時には携帯電話はほとんどつながらなかったから、西早稲田のSに助けられた。
Sもこの落語フェスのオフィシャルカメラマンなので他人ごとではない。僕は“明日のスタッフワーク、ベテラン師匠へのアテンドなど”とキーボードを打ち始めた。夜には交通機関も復旧するだろうくらいの考えで、地震の影響は全く考えていなかった。
“開催について 上からのオーソライズを待っているところです”
そう返事が来た。
な、なんだって! 明日からの開催に向けて前のめりで、アタマが高速回転していた僕は、その返事が信じられなかった。
その時、Sが叫んだ!
“ぐわぁ、な、なんだこりゃ! おい馬場、大変だぞ!”
振り返る僕の目に飛び込んだ映像こそ、今起きている現実。
テレビのスクリーンいっぱいに町を呑みこむ濁流の映像!
津波だ、大津波だ!
ここで初めて、この大震災の恐ろしさを知ることになる。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
今まで味わったことのない感情が沸き上がる。
ほどなく来福Y君からの着信。
“無念ですが、中止です”
あれだけの時間を使い、魂を賭けて、皆で懸命に準備してきた一大イベントが中止。残念でならなかったが、テレビ画面の悲惨な状況を目の当たりにした後だったので、自分自身を納得させるのに時間はかからなかった。
お客様への告知や対応、翌日の集合時間など決めて、メールを終了。ソニーミュージックのスタッフさんは、出演者や関係者への連絡などそれは大変だったと思う。
貴重な体験だった。だよねえ、Y君よ。
夕方、Sと買い物に出るが、スーパーもコンビニも食品はほぼ売り切れ。オフィスの冷蔵庫にある簡単なものと、キャンプで使うローソクをたくさん並べ、犠牲になられた方々の追悼。買ってきた白ワインでせめてもの献杯をした。
普段はお喋りな僕たちが、この夜ばかりは無言だったな。
(このエッセイでもお馴染みなので、名前ばらしていいでしょう。そう、Y君ことソニー来福の吉岡勉氏はこの苦労を共にした古くからのオイラの仲間なのです。この翌年、落語へのお客様の支持も広がり『渋谷に福来たる~落語フェスティバル的な~』として、3日間10公演と拡大したのでした。
ちなみに震災直後に意を決して購入困難な支援物資を福島に運んだ“M”は松田健次、“E”はなんと江頭2:50。松田くんはこの旅の詳細を『F』(SALLY文庫)というノンフィクション作品として出版した。
そして西早稲田の友人、“カメラマンS”は染谷高司。らくご@座とざぶとん亭風流企画はいつも彼の撮影です。)
さて、エンディングへと向かいましょう。
僕の近くだけでも、大震災への支援活動に精を出した落語仲間がたくさんいるということは、皆さんのお仲間や、きっと皆さんご自身も、あの大災害に対して居ても立っても居られずに何かしらの支援をなさったことと思います。
そのキモチ、大事です。
あの震災の直後に、『鮑のし』のくすぐり“いずれ長屋から津波が”のツナミを抜いてちがう言葉にしたりとかね、落語家さんも高座で気を使ったり、少しデリケートな空気になりましたよね。
そのキモチも大事です。
そして、あの震災から15年が経った今だから思えるようになったというか、大震災の被災のリアリティから一旦離れての発言だと思ってお読み下さい。
『天災』という名作があるじゃないですか。この演目、僕にはとても大切です。
『天災』の紅羅坊名丸先生が解くところの、嫌なこともついてないこともヒトのせいにせず天のせいとして、小さいことは気にしないという教えは、挫折から立ち直るきっかけにもなると思うのです。
誤解があるといけないので、違う言い方をすると、この演目本来の面白さを楽しめるようになっている世の中が健全だなあと思うのです。笑うことが不謹慎のような空気、同調圧力にヨイショした戦争中の禁演落語のようなことをしないで済む日本であって欲しい。
その意味で、まことにばかばかしくて大好きな僕の演目『天災』が、抗いがたい自然災害の被害からさえも、心が救われるきっかけになれば良いなあと思うのです。
けど、あれですよ、いくら天災に寛容になったとしても、悪質な人災はいけませんやね。命に係る大きな過ちという人災が、世界でも日本でもこれ以上頻発しないように、心の中に大岡越前を。
というわけで、天災にも、人災にも、ご用心ご用心。
このキモチ、大事だと思う今日この頃。
